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言葉

悼 清沢満之 君逝くや 四十一 夏の更衣

句仏上人の俳句

解説

この俳句について句仏上人と清沢満之は実際、出遇われていたのか気になって調べてみました。幸い『清沢満之が歩んだ道』藤田正勝著の中に見つける事が出来ました。
「三河大浜に戻ってまもなく、大谷派の新法主大谷光演(句仏)が留学のために東京に出るということが起こりました。新法主から面会を求められた清沢は明治三十一年九月に東京に出ました。 …中略…
さて清沢はその後も新法主から再三、東上の要請を受けます。それを承けて清沢は病身でありながら、その補導のために東京への移住を決意します。明治三十二年の六月のことでした。」
この様な関わりを知って句仏上人が俳句の題としてつけられた「悼 清沢満之」の悼の一字に大きな悼みと深い感謝の念が感じられます。

​紹介者
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解説

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コメント

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お寺の掲示板はそれぞれ色んな言葉が載せられています。瑞蓮寺の掲示板も以前は仏教書の言葉やご法話で話された言葉など載せていました。
現在は句仏上人の俳句を書いております。俳句を載せてから、通りすがりの方から俳句の説明を求められたり声をかけて頂く機会が増えました。
また私自身、俳句を選びながら季節感を感じたり、日々の生活の中でお念仏と共に生きておられる句仏上人が感じられて私の喜びともなっております。

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