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瑞蓮寺
真宗大谷派 慈雲山
Greeting
ご挨拶

副住職
浅井 正樹

第十八世住職
浅井 仁麿
History
沿革
1596年(慶長元年)
浅井壽幸により瑞蓮寺が建立される。
1637年(寛永14年)
初代住職の浅井壽幸が没する。
1868年(明治元年)
大谷派嗣講を勤めた第十二代の圓順没する。
1918年(大正7年)
元松居庄七宅(現在の瑞蓮寺庫裏)が三上棟梁により建てられる。
1944年(昭和19年)
京都市の戦争疎開政策により、瑞蓮寺が堀川三条から錦小路へ移転。
1956年(昭和31年)
瑞蓮寺が現在の新町通蛸薬師へ移転。
1965年(昭和40年)
瑞蓮寺が本堂を建立。
Introduction to the maphrod
今月の掲示板
十年以上前から句仏上人の俳句をお寺の掲示板に書かせてもらっています。俳句を載せるよ うになってから色々な感想を頂き励みになっています。「偶感」という題で4月に桜の花などご覧になり感じられた一句だと思います。
花が咲いて散るのは、花を取り巻く環境によって左右されます。気温が上がれば花が咲き、風が吹けば散っていきます。そこに花の意思が入り込むことはありません。これは私たち人間にも当てはまるのではないでしょうか。
「自然の摂理の中では自分もひとつのパーツです」とおっしゃった方がいます。私たちは人生を自分で舵とっているように錯覚しますが、出会いも別れも選ぶことはできません。花と同じように私たちも縁によって人生を歩んでおります。
作者ではないので想像するしかありませんが句仏上人が自分の思いを超えた「我が世」の中で、今まさに咲いているこの一瞬を深くお慶びになって詠まれた一句のような気がします。
句仏上人の俳句
偶感
咲くも散るも 花の外なる 我が世かな
十年以上前から句仏上人の俳句をお寺の掲示板に書かせ てもらっています。俳句を載せるようになってから色々な感想を頂き励みになっています。「偶感」という題で4月に桜の花などご覧になり感じられた一句だと思います。
花が咲いて散るのは、花を取り巻く環境によって左右されます。気温が上がれば花が咲き、風が吹けば散っていきます。そこに花の意思が入り込むことはありません。これは私たち人間にも当てはまるのではないでしょうか。
「自然の摂理の中では自分もひとつのパーツです」とおっしゃった方がいます。私たちは人生を自分で舵とっているように錯覚しますが、出会いも別れも選ぶことはできません。花と同じように私たちも縁によって人生を歩んでおります。
作者ではないので想像するしかありませんが句仏上人が自分の思いを超えた「我が世」の中で、今まさに咲いているこの一瞬を深くお慶びになって詠まれた一句のような気がします。

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